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自己表現と羞恥の関係性

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「Tokyo Marry Letter」パーカッション担当のナカムラです。


「Tokyo Marry Letter」は、
手紙を歌にするレターソングを制作しています。


作曲・ミックス・ウェブ担当等々、
それぞれ受け持つ部署がありまして、
それぞれが拘りを持って良いものを作ろうと
日々頑張っているのですが、


その中でもパーカッションの演奏を担当しております僕は、
もちろん演奏をしているのですが、
「Tokyo Marry Letter」やレターソングを広めようと
記事を書いたりもしています。



このように記事を書く場合、
もちろん演奏について書いたり、
レターソングについても書いたりするのですが、


書いていますと、
「書く」ということが好きなんだな、ということに気付かされます。



ただ「書く」と言っても、
基本的には自分の内面から出る事を書きますので、
仮にそれが想像から書かれたものであっても自分が表現されてしまうので、

ふと気が付くと、
書くという行為は自分をさらけ出すようで、
実は恥ずかしいのではないのか?と思ったりもします。



とはいっても、職業が作家ではありませんので、
単純に思いつくまま書いているのですが、

実は「演奏する」という行為も、
あまりにも自分が表現されてしまって恥ずかしくなる時があるんです。


その恥ずかしさとは、
演奏が未熟である、とか、
使っている楽器がハマっていない、
ということではなく、


その音を聴いた時に、

ナカムラテツヤ

「うわー!完全にオレじゃん!!」



と心の中でつぶやいてしまうような、
音に自分が乗ってしまった時。



その時の自己評価は、
良い悪いを通り越して、ちょっと恥ずかしいという状態。


とはいえ、音を聴いて自分を感じてしまうなんて、
中々高度な現象ではないか、
とフォローしておきます。


例えば、自分の声を録音したものを聴くと恥ずかしかったりしませんか?


それは声が変だとか、
話し方がおかしい、というのではなく、

他人が聴いている自分自身と対峙した自分に対する羞恥であって、
内容に対してのものではなく、
そんな感情と似ているような気がします。



よく言えば自己表現が出来ていますので、
すごく良いことだと自分自身を納得させつつ、

良い演奏するのは

技術ももちろんのこと、
自己を磨かないと


という結論に辿り着き、
どっぷりハマった音楽沼から抜け出せなくなっていくのでした。

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この記事を書いた人

パーカッション&ドラム
ドラムを江尻憲和氏に師事。その後、パーカッショニスト山口とも氏のアシスタントに就く。自らもドラマー・パーカッショニストとしての活動を開始し、都内を中心にライブハウスやカフェに出演、コンサート・レコーディングや、「あのニュースで得する人損する人」「マジパパJAPAN(J:COM)」等のテレビ番組に出演する等幅広く活動している。

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